2007年03月12日(月)
「パンフレット 見たよ」 [しばおか としみ前県議候補]
携帯電話が鳴りました。宣伝中で、出られません。
着信履歴は知らない電話番号です。
普段は折り返しの電話はかけません(振り込め詐欺っぽい電話だったことがあったので)が、思い切ってかけてみました。
「Mです」「・・・?」「Mですよ」「??」「う〜ん」「あっ、○○病院のMさん?」
以前働いていた総合病院の同じ階で、一緒に仕事をしていたMさんでした。
自宅のポストに入っていた、しばおかパンフを見たと、電話をかけてくれたのです。携帯変えたから後で連絡するねと別れて、じつに二年ぶりです。
「パンフレットにしばおかってあるけれど、どう見ても柴岡さんだと思うんだけど、本当に柴岡さんなんだ!」
「県議選に出るんだねえ、なんとしても頑張ってね」と激励していただきました。
本当に感激です。パンフレットが友人との再会の橋渡しをしてくれるなんて!
Mさんのおうちは何処かはわかりません。今度は“偶然に”彼女の家の近くで演説ができたらいいなあ!と思います。
Posted at 16時27分 パーマリンク
2007年03月11日(日)
新生児救命救急 [しばおか としみ前県議候補]
日曜ビッグ「密着・新生児救命救急24時」と言う番組、ご覧になった方、いらっしゃいますか?
静岡県立こども病院新生児未熟科に搬送されてくるベビーと、小児科医・スタッフの闘いのドキュメントです。
なぜこんなに多忙なのかという問いに、「小児科医の自分が言うのもおかしいが、仕事が大変で、それをみる医学生がこういうところには行きたくないと思うのだろう」
とこたえていらっしゃいました。
総合病院の産科に勤務していた私も、医師の多忙きわまる仕事ぶりを見てきました。
日勤・オペ・当直をしながら、呼び出しをこなしているんです。
くたくたになっているのをわかっていても急変・お産で「ごめんなさい、先生」と医師を呼び出さなければいけません。
今、あちこちの総合病院の産科、小児科が閉鎖されています。(私が勤務していた病院も産科、未熟児室も閉鎖されました)スタッフ、病院の頑張りだけでは、住民の医療・命は守れなくなっています。
先に、日本共産党は医療分野の政策を発表しました。日本の人口あたりの医師の数は本当に少ない!医師・医療スタッフの養成から抜本的な改革をしていかなければ、という政策に心から共感します。
未熟児救命救急の合間に織り込まれる、自宅出産や元気になって退院していく場面は、本当に心温まり、救われたおもいです。
日本共産党の政策
・深刻な医師不足を打開し、「医療崩壊」から地域をまもる日本共産党の提案(2007年2月7日)
Posted at 21時06分 パーマリンク
2007年03月10日(土)
本番みたいに! [しばおか としみ前県議候補]
青年の『風おこし隊』、女性後援会、地域後援会のみなさんと総勢12名で車三台を連ね、公園前で街頭宣伝を行いました。
パネル、“日本共産党”と“しばおかとしみ”のピンクの登り旗がずら〜っと並び、選挙本番のような勢いです。
おかげさまで、元気いっぱいに宣伝ができました。
事務所では炊き出しをしてもらいました。おいしい炊き込みご飯、ありがとうございました。
明日は寄居地域を回ります。
みかけたら是非手を振って応援してくださいね。
Posted at 18時50分 パーマリンク
2007年03月09日(金)
東京大空襲 [しばおか としみ前県議候補]
「東京大空襲は三月九日の夜なんだよ」と父はよく言っていました。
九日の夕飯を食べ、寝ていたら空襲警報が鳴った。十日の朝は迎えられなかった。
だから自分の中の大空襲は三月九日なんだと。当時17歳の父の話です。
B29の連隊が頭の上をかすめるように飛んで行ったこと、周囲から円を描くように焼夷弾が落とされたこと、首に火の粉が入ってやけどをしていたが、気が付かずに逃げたこと、夜が明けて、丸焦げになった焼死体をまたいで歩いたこと・・・
浅草に住んでいた父と祖母から聞かされていた戦争体験は、まるで、映画のシーンのように鮮烈に私の幼い脳裏にしみこんでいきました。(母は浅草から長野に学童疎開をしていたそうです)
戦争をしたいと、本気でそう考えている人って、いったい何人くらいいるんでしょうか?
自分や家族が戦争で死んでもいいと考えている人っているんでしょうか?
どうですか、安倍さん!!
Posted at 18時51分 パーマリンク
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